とある時計誌に非常に興味深い記事が掲載されていた。
その内容は高級時計の新作発表会に関してである。
毎年1月と3月にそれぞれスイスのジュネーブとバーゼルで開催されるこれらのイベント。
既知の方も多いと思うが、パネライ、IWC、モンブランなどの
リシュモングループを中心としたブランドの見本市であるSIHH(通称:ジュネーブサロン)と
ブライトリング、ゼニス、ベル&ロス、エドックスなど上記以外のブランドの見本市であるバーゼルワールド。
もちろん当店からも毎年オーナーやショップマネージャー、ブランドマネージャーが現地を訪れ
新作を手に取るだけでなく、その年1年間のオーダーを全て決定するという大事な商談が行われている。
今回の記事は、『歴史あるこの見本市が今まさに転換期を迎えている』一言でまとめるならそういった内容であった。
この記事を書いたのは世界屈指の時計ジャーナリストであるギスベルト・L・ブルーナー氏。
記事によると、現在のバーゼルワールドの前身である
“バーゼル国際見本市(MUBA)”が初めて開催されたのは1917年のこと。
当時は時計業界だけでなく様々な業種の出展社とともに、29社の時計メーカーが参加した。
初回開催時は第一次世界大戦による混乱期だったが
永世中立国としてヨーロッパで孤立していたスイスは自らの存在をデモンストレーションしたのである。
こうして1931年にはMUBAとして初の“スイス時計見本市”が開催された。
この時の出展社数は70社。
メディアはこぞってこれを報道し、ヨーロッパ中がバーゼルに振り向くようになった。
これ以降、バーゼルでの時計見本市は現在に至るまで途切れることなく毎年1回開催されている。
そしてこの見本市の名称と参加基準はほぼ定期的に変更されてきた。
1987年、時計見本市の主催者はSMHグループ(オメガ、ロンジン、
ティソ、スウォッチ等を擁する現スウォッチグループの前身)が撤退するという
悪い知らせを初めて受けることになった。
スイスのビエンヌという都市に本拠地を置くこの巨大な時計コンツェルンは、
より成功が見込めそうな別のマーケティング形態を模索していたのだ。
バーゼル見本市にとってSMHグループの不参加は残念ではあったが、
出店を継続するメーカーには連帯感をもたらした。
1991年、カルティエの社長であったアラン・ドミニク・ペランが中心となり、
ボーム&メルシェ、カルティエ、ピアジェ、ジェラルド・ジェンタ、ダニエル・ロートが新作を発表する
第一回の“ジュネーブサロン”(SIHH)が開催されたのだった。
この試みは大成功を収めたと言えるだろう。
というのも開催期間の月曜日から水曜日までの間に、売り上げは15%の上昇を記録したからだ。
ジュネーブサロンの成功にもかかわらず、参加メーカーは引き続きバーゼルでの出店を希望していた。
1993年に完全にバーゼルでの新作発表を撤退したボーム&メルシェ、カルティエ、
ピアジェの空きスペースにはすかさずSMHグループが乗り込み、
カルティエの跡地にはコンツェルンのリーダー的ブランドであるオメガがブースを構えた。
その翌年にはロンジンも会場へ帰還を果たし、1995年にはバーゼルへの出展ブランドが初めて200社を超えた。
バーゼルはその後1年も経たずして会場の大改装を行い、その経費は約1億7000万スイスフラン
(現在のレートで日本円にして約191億円)だったという。
2000年を最後にIWC、ジャガー・ルクルト、A.ランゲ&ゾーネも会場をあとにした。
この3社はリシュモングループの傘下に入ることによって新作発表の場を当然ながらジュネーブに移したのだった。
これまで“バーゼルフェア”という通称で親しまれてきた見本市はその後、
正式に“バーゼルワールド”と名称を改めた。
傾向は変わらず出展社は増えていき、したがって売り上げも増加していった。
こうした状況は昨年までは引き続き変わらなかったが、
2018年は出展社の離脱がバーゼルワールドを侵食するように広がった。
というのもジラール・ペルゴ、ユリス・ナルダン、エルメスがジュネーブサロンへと移動したのである。
これに留まらず、主催者側にとって最大級の打撃は2018年の7月末に訪れた。
驚くべき事にスウォッチグループが2019年のバーゼルワールドには参加しないと宣言したのだ。
ここは強調したいところだが、バーゼルワールドには今もってブライトリング、ゼニス、
ベル&ロス、エドックス、パテックフィリップ、ロレックス、タグホイヤーといった
牽引力のあるスイスの大手ブランドが支柱として存在する。
ブライトリングはバーゼルからの撤退をCEOのジョージ・カーン氏が宣言していたが、
今年のバーゼルワールド閉会後に前言を撤回した。
2019年の開催でブライトリングは、ホール1の中心に最大のブースを構えるとのこと。
ジェネーブサロンとバーゼルワールドにはそれぞれの良さがあるだろう。
招待された者しか参加が許されていない厳格なジュネーブサロンで新作を発表するブランドもあれば
100年を超える歴史と伝統のあるバーゼルワールドで発表するブランドもある。
また今後、ジュネーブとバーゼル以外にこういった新作発表の場が新たに設けられるかもしれない。
私自身、今年初めてバーゼルワールドに参加させていただいた。
各ブランドがその年のコンセプトに合わせ、趣向を凝らしたブースで世界観を表現しているのだが
そのスケールはまさに圧巻だ。
様々な言語が行き交う会場に足を踏み入れたその瞬間から感動しっぱなしだった。
時計に携わる仕事をしている者として、いつかまたあの感動を味わいたいと強く思う。
今後の時計見本市の動向から目が離せない。
参考文献『Chronos 日本版79号』