こんにちは。オロジオのオーナー木村の娘です。 今日のブログは、父が夫にパネライを受け継いだ時のお話です。
「昌平(夫の山本)にこのパネライを渡そうかと思うんだ」
これは、遡ることもう10年ほど前の話になりますが 私自身が最近自分の子を授かり、その時に夫が息子のために時計を購入したことで 改めて、あの大切な日のことを記録しておきたいと思い ふたりに話を聞きながら、ここで綴らせていただこうと思います。
子どもの誕生記念に時計の購入を考えている方、 そうでなくとも大切な誰かに時計を譲りたいと考えている方、 そんな方々に読んでいただけたら嬉しいです。
【父(木村)】
娘が大学を卒業し、社会人になった頃くらいから いつか夫となる人を連れてきた時に 今、自分が大事にしている時計を譲りたいと思うようになりました。
【父(木村)】
「これやるよ」って言ったら戸惑いながら喜んでてそのときの顔はすごく覚えてる(笑)
今、これをまた更に譲れる子ができたことが何より嬉しいな。 これって、機械式時計だからできることだと思うんですよね。
【父(木村)】
お店を構える上で、パネライにはとても強いこだわりを持って取り扱っていたので パネライを譲ることはすぐに決まりましたね。
渡した時計は、銀座ブティックの限定モデル。 文字盤の色やインデックスの焼けた雰囲気が気に入り購入しました。
気に入っているモデルだからこそ、娘の夫に譲り受けたいと思ったんです。
【父(木村)】
ただ単に自分のものを受け継ぐだけではない スイスの時計の文化や歴史を絶やさず繋いでいくという気持ちもあります。
そして、もちろん自分の時計への、娘への、娘の夫への、、、など たくさんの想いを受け継いでもらえることが何より幸せです。
【夫(山本)】
覚えてます。
大きいボックスがいきなり目の前に現れて これはなんだろう?なんかくれるの?って ただただ眺めてた気がします。
お義父さんに、「開けてみて」って言われて開けると なんとパネライの時計が入っていて「えー?」っとかなりびっくりでした。
驚きの感情が一番大きかったですね。
【夫(山本)】
いただいた日からすぐに使い始めました。
学生の頃はファッションで電池の時計をたまにつけていたけど この日から毎日パネライを使うようになって、時計が左腕にある生活が当たり前になったんです。
ーそして重い口を開いた山本ー
これは社長にも言ってないんですが・・・
(急な社長呼びです笑)
当時、前職で結婚してすぐに上海赴任になって
上海に行った初日、先輩方が歓迎会を開いてくださり ひどく酔っ払って気づけば記憶がないまま、帰宅して自分の部屋で寝ていたんですよね。
起きたら、ちょっと待って、腕元につけていたパネライがない お店や先輩方に電話してても見つからない、
やばい、やってしまった・・・と諦めかけたときに ふとベッドサイドの引き出しを開けると、綺麗にパネライがしまってあるんです。
潜在意識で無くさないように無くさないようにって大切にしまっていた自分。
見つかって本当によかった。 お義父さん、すみません・・・(苦笑)
そうして、時計と共に過ごすことが日常になりました。
【夫(山本)】
大切な物を自分に渡してくれたから、もちろん大事に大切に使いたい。 この時計を見るたびにお義父さんの顔が必ず浮かぶんですよね。
ああ、ただ物を渡されただけじゃないんだ、と気づきました。
そして、いただいてから、自分が使ってきたたくさんのシーンもそこに重なるようになるんです。
時計には、想いが積み重なっていっているんだ。
誰かにあげたからリセットされるのではなく こうやって、想いが繋がれていく、それが機械式時計なんだと思います。
【夫(山本)】
大切な子どもに、自分にとって大切な想いを受け継ぎたいという気持ちは親が抱く当然の感情なんだなと知りました。
自分も息子の誕生を記念して時計を購入したんですが、自分が大切に使って、いつか息子に渡す
きっとそれは20年後くらいになるのかな。 すでにそれが楽しみでにやにやしてしまいます。
もしかしたらお義父さんも 僕にあげる日を楽しみににやにやわくわくしてくれてたんじゃないかな。