若い⼥性のために、着物の世界を開放した
もともと商⼈や医者が多く住むまちである久留⽶。その地で、⽬の肥えた顧客たちを相⼿に100年の歴史を築いてきた超⼀流の呉服店、⽥中屋呉服店。名実ともに、京都と渡り合える実⼒をもった九州の呉服店は、ここ⽥中屋か百貨店だけと評されるほどだ。
代表取締役である⽥中英次さんは、そんな格式の⾼さを守る⼀⽅で、呉服業界の⾵雲児といった存在でもある。幼い頃から伝統や礼儀作法を重んじる環境で育ちながらも、実は「⼈と同じものはいや」という気質。⾮常識は良くないが、常識はみんなが勝⼿に決めたこと。だから⾃⾝は常識にとらわれすぎず「我が思う理想を、追い求め続けています」という。
⾵雲児の原型が芽⽣えたのは、社会⼈となり、京都へ修⾏に出向いて間もない時だった。慣れ親しんだ着物の世界ではあるが、いざ働いてみると想像よりも閉鎖的だったのだ。着物はファッションなのに、ワンパターンな着こなしでルールも多い。⾃分と同じ若い世代の⼥性たちが着物を楽しんでいない現状も相まって、「着物は、伝統の上にあぐらをかいてないだろうか?」と考えだした。
修⾏を終え、久留⽶へ戻った後に、「若い⼥性が⾃由に楽しめる」ことをキリクチにした着物コーディネートを考案。レースやビジューをトッピングするように着付けに取り⼊れ、今、若い⼥性のなかで常識となりつつある振り袖スタイルを発表した。また、メディアにも度々取り上げられる、セクシーな “花魁”や“極妻”のスタイルも、⽥中さんが発案者なのだ。
若い世代を対象とした⽥中屋呉服店の姉妹店、キャナルシティ博多の「きもの KAGUYA」のレースを取り⼊れたディスプレイはまさに今っぽい感じ。
カラフルな帯留めも、⽥中さんを筆頭にスタッフが⼯夫を重ねて考える。
オリジナルパンフレットのすべてをプロデュース
レースやビジューを取り⼊れたきものスタイルは、時に「伝統をばかにしているのか?」と批判された。しかし、⼥性たちの反応は上々で、評判を呼んでいく。「出る杭は打たれますが、出過ぎた杭は打たれないのですよ」と⽥中さん。今では、⽼舗呉服店の⼦息が、⽥中屋に弟⼦⼊りするようになってきた。
また、⽥中さんは「僕は着物の料理⼈だと思っています。素材(着物)を現代の⼈の好みや嗜好性に合わせて、調理(コーディネート)しているんです」という。
そのレシピ本とでもいうべき存在が、⽥中屋オリジナルのパンフレットだ。企画にはじまり、着物のスタイリング、ヘアメイク、写真撮影、誌⾯レイアウト、キャッチコピーまで、すべて⽥中さんがプロデュースした渾⾝の⼀冊だ。
実は、あまり知られていないことだが、メーカーが制作したパンフレットに各ショップの名前を⼊れ込んで客に⾒せるのが、レンタル着物の世界の常識。つまりパンフレットを⾃社制作しないのが通常なのだ。
⼀⽅、⽥中さんは「僕たちはパンフレットに掲載されているままの着物のコーディネートやヘアメイクを、お客様にして差し上げることができる。これは⾃分たちでパンフ制作をしているからこそですよ」と胸を張る。
成⼈式の着物を予約するのは、まだ10代の少⼥たちだ。着物に触れた経験がほとんどない彼⼥たちの憧れの基準はパンフレットになる。成⼈式の振り袖に少⼥が描く夢を、そのまま形にしてあげられること。それが⽥中屋の⼈気を引っ張っている。
福岡・久留⽶のきもの⽂化を牽引する存在に
⽥中屋オリジナルのパンフレットを飾るのは、シティ情報⽉刊くるめの「いちご姫コンテスト」に登場した⼥性たちだ。
「いちご姫コンテスト」は、⼥優の松雪泰⼦さん、⽥中麗奈さんなども輩出し、全国的に注⽬される存在。その約30年間の歴史を、⽥中さんは協⼒・協賛という形で⽀えてきた。そこにあるのは「利益よりも、地域を盛り⽴てたい」という気持ち。この姿勢が「いちご姫」に興味を持つ⼥性たちの、⽥中屋への⽀持を広げてきたとも⾔える。
現在は、もっともっと着物の素晴らしさを知ってほしいという想いから、浴⾐をできる限り低価格(なんとワンコインの500円! ※税別)で販売している。夏の⾵物詩である花⽕⼤会に、浴⾐姿の⼥性が増えるという現象を巻き起こし、本拠地・久留⽶の筑後川花⽕⼤会では約7割の⼥性が浴⾐姿という。
全国紙にも取り上げられる「いちご姫コンテスト」。⼥優に限らず、孫 正義⽒、堀江貴⽂⽒などの著名⼈も、久留⽶に深い縁がある。⽥中さんは、そんな地元・久留⽶をこよなく愛する。
今後とも、福岡・久留⽶を拠点に、新しい着物の世界を拓いていく⽥中さんの活動に注⽬したい。