鮨 行天
住所:福岡市中央区平尾1-2-12電話:092-521-2200
営業時間:18:00〜23:00
店休日:不定休
頬をなでる風が心地いい。水面の上を駆けてきたことで、すこし温度が下がっているのだろう。そんなことを考えながら、薬院新川にかかる橋を渡っていく。時間帯は、夕暮れのショータイムがはじまる頃。染まっていく空やセンチメンタルな風情が混ざり合い、辺りに満ちる空気はどこか空想の世界のよう。
都心の川にかかるコンクリートの橋も、ある店へのアプローチのように思えてくるから不思議だ。
その先で待っている店の名前は、「鮨 行天」。
ミシュランガイド福岡・佐賀2014特別版にて“三つ星”に輝いた、江戸前鮨の名店である。
今、福岡の鮨屋の中で最も予約が取りづらい店のひとつであるのは、ご承知のとおり。「鮨 行天」の“三つ星”の世界を味わってみたいと願う人々が大勢いるのは当然のことだ。また、“三つ星”以前からのファンもそれに負けずと大勢いる。
双方とも、来店してやはり旨いと感動し、帰る時には次回の予約を忘れない人も多い。新しい客と常連たちの予約の連鎖により、カウンターは数カ月先まで埋っている。
店に入るとまず目に飛び込んでくるのが、六角形を半分にしたような、特注のカウンターだ。
その中央には、「鮨 行天」店主、行天健二さん。
26歳の時、出身地である下関に店を構え、29歳で福岡へ移転。2012年のことだった。その後、あっという間に福岡での人気と話題を獲得し、高い評価を築いてしまった、その人である。
どんなネタをどのように、鮨や肴に仕上げていくのか。その手の内をすべて見ていただけるよう、客と行天さんの間に、境界線はない。カウンターの中は余すことなく披露されている。
お造りへ、小鉢へ。行天さんの手により、食材たちが、美しく流れるように姿を変えていく。その様子には、見惚れるばかりだ。期待いっぱいの若い女性も、通い慣れた紳士たちも、目を輝かせながら、その手元にくぎづけになる。
役者が、「今日できるなかでの最高だ」と自信を持って言える演技を繰り出す。そんな舞台を観ているような気分になれるのだろう。
さらに行天さんは、言葉でも、おいしさを彩ってくれる。
魚が水揚げされた場所、その魚の生息の仕方、そして自分との出会い。さっと切って提供したトマトにさえ、箸休めと片づけられないほどのストーリーが詰まっている。リズミカルに、小気味よく、そして何より楽しそうに繰り出される言葉によって、舌だけでなく、頭で心で、おいしさを受け止められるようになる。
「鮨 行天」では、その店構え、雰囲気、味、そして店主・行天さんご自身の魅力などが、それぞれ重なり、高まりあって、最高の江戸前鮨の世界観を作りだす。華やかで粋な、江戸前鮨の舞台を、私たちは思う存分楽しむことができるのだ。
しかし、その舞台裏を掘り下げていくと、そこまでするのかと驚かされるほどのこだわりが隠されている。行天さんの想いから、店の細々したことまで、さまざまなこだわりがあるのだが、もちろん、鮨の中で重要な位置を占める、食材探しにも“行天流”が仕込まれている。
例えば、鰆。鰆は福岡近海でもよく水揚げされる魚だ。自然の流れからいくと、店から近く、時間も輸送費もかからない近海ものの中で、最高の鰆を取り寄せるだろう。
しかし“行天流”はここからさらにひとつ、階段をのぼる。
近海の鰆に少しでも不安があれば、いや、もっとほかにいい鰆があるのではないか?と興味がそそられた時点で、別のエリアからも同じく鰆を買い付ける。全国のうまいものが集まる東京・築地市場から、わざわざ九州で水揚げされた鰆を逆輸入することもある。
倍の量を仕入れられた鰆は、どちらが旨いか見極められ、どちらかは客に提供される機会を失う。仕入れや仕込みの手間まで無駄になるのだ。それでも「鮨 行天」では、“最高”を追い求める機会を諦めはしない。
高みへの階段を昇り、新しい扉を開けていく。これが“行天流”なのだ。
取材にお伺いした日、カウンターで静かに待っていたのは「木村様」と刺繍された、ナプキンである。「鮨 行天」、そして店主・行天さんのファンのひとり、オロジオ・木村社長のために用意されたものである。
この店で過ごす時間が、ひとりひとりの客にとって、最高のものであるように。ここまで考え抜き、そしてかたちにするのが「鮨 行天」の真骨頂。行天さん自身が、季節に合わせた着物を着ているのにも、同じ意味があるのだろう。
その味ももてなしも「まるでオートクチュールのようなのです」と木村社長は言う。華麗でありながら、繊細なその時間。日々、一分一秒ごとに「鮨 行天」とそこに集う客のことを考えている、行天さんだからこそ完成させられる世界なのだ。