沖縄・石垣島の空気が、オロジオのサロンにそのまま流れ込んできたよう。店内の色合いが急に変わったと、心と肌でそう感じた。「石垣島ラー油」でおなじみの「辺銀食堂」。その代表である辺銀暁峰・愛理夫妻が、福岡市・大名にあるオロジオのサロンを訪れてくれた時のことである。
暁峰さんのどこまでもピースフルな笑顔には、ついこちらも引き込まれて笑ってしまう。愛理さんの瞳は、本当に大切なことだけを見るように輝いていて、吸い込まれそうだ。おふたりは、八重山の自然を吸い込んだように、生命力にあふれている。夫妻が誰であるかを知らない人でも、ふたりらしい人生をのびやかに歩いてきたんだろうと、すんなり想像できてしまう空気をまとっている。
オロジオ・木村社長も、そんな辺銀ご夫妻の大ファン。石垣島を旅した時に「辺銀食堂」を訪れ、その後石垣島で開催されたプレミアムな野外レストランイベント「DINING OUT」で辺銀夫妻に再会した。木村社長はご夫妻の13歳になる息子君を孫のように可愛がり、辺銀家からも「キム兄」と呼ばれ、今では家族ぐるみでおつきあいをする間柄となっている。
暁峰さんと愛理さんが、ラー油をつくりはじめたのは、まだ結婚前。おいしいものが大好きで、腕を競い合うように料理を作っていたふたり。皮から手作りの餃子は暁峰さん、手作りのラー油は愛理さんという、おいしいポジショニングが確立されていった。
「彼の故郷・中国で、定番のラー油といえば“具だくさん”なんです。日本で販売されているような赤い油はないんですよ」と愛理さん。東京に住んでいた頃も、千葉のピーナッツ、静岡の山葵茎と、ラー油の材料を求めて小旅行にでかけるほど凝っていた。当時から、材料の組み合わせや分量の変化を楽しみながら、いろんな味を試していたそう。愛理さんは「ラー油はもともと、彼のために作っていたものだったの」という。
かの有名な「石垣島ラー油」を日常から生み出し、暮らす時も、仕事をする時も、一緒に過ごすことが多いふたり。そのコンビネーションの良さを問うてみると「暁峰は“おばさん”みたい。私は“おじさん”みたいとよく言われる」と愛理さんが解説してくれた。
例えばビーチコーミングで拾ってきた貝殻やガラスの破片。庭の木をサークルで囲むように可愛くディスプレイするのが暁峰さん。石垣島の海底から引き上げた大シャコ貝に、ざざっと入れるのが好きな愛理さん。
新しい店のメニューを考えるのは愛理さん。アイデアを閃かせる、旗振り役だ。それをいいな、と思ったら、おいしいひと皿に仕上げていくのは暁峰さん。
さらに愛理さんが「私はひとりでいるのが好き」というのを横目に、「あんなことを言っていますが、愛理には可愛いところもあるんですよ」と暁峰さんはにこにこ笑う。ご夫妻の素敵なバランスが、「石垣島ラー油」のスパイスも調合にも表現されているのかもしれない。
「石垣島ラー油」には、決めごとがある。石垣島、もしくは沖縄県内で育った食材をできるだけ使い、石垣島でつくるということだ。
「石垣島ラー油」は人気商品ゆえ、「当社の工場で量産してほしい」との誘いが、幾度となくあったそうだ。しかし、ラー油の材料は、島のおじい、おばあが育ててくれた作物。そう大量には栽培できない。何より、別の土地でつくってしまったら「石垣島ラー油」ではなくなってしまう。だから今も、石垣島以外でラー油をつくる気は、さらさらない。
「石垣島ラー油」はすぐに売り切れてしまって、手に入りにくいといわれているが、2名だったスタッフも今では30名になり、ラー油作りに励んでいる。原材料の農作物を安定して買い取ることで、島のおじい、おばあのやる気もさぞかしあがったことだろう。「うちのラー油のベースになっている島唐辛子があるでしょう。あの値段は以前の10倍くらいになったようです」と、愛理さんが教えてくれた。島の経済に貢献したことが讃えられ、2014年には地元新聞の琉球新報社より「琉球新報活動賞」の産業部門を受賞している。
そうやって、地元・石垣島との密接な関係のうえにつくられている「石垣島ラー油」には、目には見えないおいしさが注入されている。その名は「あやかり」。
「沖縄には、『あやかり』という、すごくいい言葉があるんです。戦争をくぐりぬけ、厳しい時代を生きぬいてきた方たち…言うなれば、奇跡的な命やグットラックをお持ちの70歳から100歳の方々がいらっしゃる。そんなおじい、おばあから、お茶やお酒をついでもらう時などに『あやかり、あやかり』というんですよ」。
だから、「石垣島ラー油」の材料は、20代と90代の農家さんがいたら、後者から仕入れするようにしている。奇跡的な幸運をおすそ分けしてもらった、「あやかり」たっぷりのラー油ができあがるというわけだ。
お話を聞きながら、気になってきたのは、暁峰さんのTシャツ。カメラ本体がプリントされたデザインのものだ。もともとコレクターでライカの収集をずっと続け、今では100台近くを持っているとか。旅のお供もいつもライカだ。
機能美という共通点があるためか、カメラと時計は親和性が高い。暁峰さんは時計愛好家でもある。今回手にしたのは〈Bell & Ross〉の一本。旅のお供がまたひとつ加わったようだ。
一方、愛理さんが旅だけでなく、外出する時は常に持ち歩いているのが、黒檀のお箸。いわゆるマイ箸であり、森林伐採につながる割り箸は使うことはない。
なかなかできないことをさらりと日常的に行っているおふたり。今ではラー油のみならず、「CHI MU NO」や「トラベル・ペンギン」など、ユニセックスなオリジナルのウエアも手がけている。今後の展開もさらに気になるところだ。
また、海が目の前にある場所に、ビーチハウス・ゲストハウス・イベントスペースのいいところを融合させた、新拠点をつくることも計画中である。「将来、食にたずさわりたいという子どもたちを招待して、本物の食にふれてもらおうと思っているんですよ」と愛理さん。数十年後、石垣島の子どもたちが、ふたりに「あやかり、あやかり」と言いながら、料理をふるまってもらっている。そんな光景を、眺められたら素晴らしいと思った。